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    <title>オリジナルアニメーション「霊珠」公式サイト</title>
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    <updated>2008-01-23T17:45:39Z</updated>
    <subtitle>ザラスドットコムオリジナル作品「霊珠」公式サイト</subtitle>
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    <title>第３話 「決戦のマクエーク」（後編）</title>
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    <published>2007-05-20T17:50:13Z</published>
    <updated>2008-01-23T17:45:39Z</updated>

    <summary>　幾重にも折り重なる黄金の柩。
　緑看院の光景を一言で著すと、こうなる。
　薄暗い部屋の中、金属の筺が無機質に列をなす。
　実際には、遺体を容れることはない。治癒の見込みの無いものをどうにかする余裕は、すでに帝国には存在しないのだから。
　容れることはなくとも、結果として、出たときに……という例ならば、多い。
　黄金の壁の表面、赤く点滅していた光のすじが、また一つ、霞むように消えていった。</summary>
    <author>
        <name>玉英</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://reiju.zarasu.com/">
        <![CDATA[<p>　緑看院は法と治癒を司る治務卿＝ラミン家の管轄する組織であり施設だ。それはすなわち、寐床（ペーレ）を司るというのと同義である。<br />
　寐床とは今の言霊人の生命をつなぐ維持装置。定期的に──だいたいは１日に一度、最低でも３日に一度、身体を漬け込む必要がある。<br />
　その機能はマナの生成および摂取、老廃物の除去、皮膚の再生と多岐にわたる。<br />
　蛮族……神人たちが食物を摂り、風呂に入り、睡眠をとり、排泄するのと同じ役割を、すべてこの筺がまかなうのだ。<br />
　かつて言霊人という種が誕生したときには、こんなものは必要なかった。「未分化のマナ」が世界を満たし、言霊人は息をするだけでも生きてゆけたとされている。言葉を媒介に、世界から直接エネルギーを摂取することのできる生命体。ゆえに混沌たる原初の人界に生きられる唯一の種として、降された。<br />
　時が流れ下り、世界は姿を変えた。マナは七要素へと分化され、濾過されて物質となり世界を埋めた。言霊人も変わった──力を失う方向へと。<br />
　今や言霊人は、時流に取り残された抜け殻にすぎない。<br />
　海綿に水を含ませるようにして、萎れた身体に力を満たしてやらなければ、ただ生きることすらできなくなってしまった。<br />
　滅びを待つばかりの、無力な種。</p>

<p>　それを誰よりもよく知っているのは、統治者たる七家議だった。<br />
　だが彼らには、真実を吐くことは許されない。<br />
　何をしても民を救わねばならないし、希望はあると、言い続けなければならなかった。<br />
　それが、つらい。<br />
　何もかも投げ出してしまいたい。我らは世界に見捨てられたのだと、言ってしまえたらどんなに楽になるだろう。<br />
　だがそれを言葉にしては、全ては終わる。本当に、終わってしまう。<br />
　これほどに痩せ細ってしまった未来でも。渡すべき相手がいるうちは、投げ出すことは絶対に、許されない。</p>

<p><br />
「……天務卿？　お聞きになっておられますか？」<br />
　紫の瞳が、まっすぐに見つめる。どんな話をするときも、どんな感情に駆られていても、彼の言葉は明瞭だ。天務卿はすこしだけ瞳をみはった。<br />
「聞いている。続けてくれ」<br />
　ヴィンは頷き、寐床へ向けて手をかざす。<br />
　緑看院の寐床には、通常の寐床にはないさまざまな機能が付与されているから、いちだんと厳つくできている。中の人の様子が詳細に分かるモニタも、機能のひとつだ。<br />
　マクエーク緑看院には、ディスガバンから逃れてきた兵が数名、収容されたところだった。以前にも、近隣の圏から負傷兵を受け容れているから、すでに全ての寐床がいっぱいだ。このうえ、竜の戦士が襲来するとあっては──たとえ圏が守れたとしても、そのために負傷した者の命が救えないのでは本末転倒だ。帝国兵は漏れなく、言霊人の言霊人たる力＝術法を使うことができる者の集合である。可能な限り、犠牲は少なくしなければならない。<br />
「見てください。胸を割られています。棍棒のような原始的な兵器のようですが、威力が尋常でなかったということですね。翅生がなければ、即死していたでしょう。また彼以外はすべて、頭を狙われています」<br />
　モニタには、負傷部位を示す図が浮かんでいる。ヴィンが手を振ると、他の寐床のモニタに映すべき図像が次々と呼び出される。<br />
「翅生を着ていない所を狙われているのか……」<br />
　蛮族といえど知性体であると、認めざるをえない。敵の攻め手は時とともに巧妙さを増す。一人が生き残れば、その一人が他の集合へと伝える。こちらの弱味が、そうして全ての群に知れ渡りつつあるというわけだ。<br />
　天務卿とヴィン、ふたりの語らう背後を、看護士の女が駆け抜けてゆく。時を同じくして、ヴィンの呼び出した図像のひとつが、真っ赤に染まった。──寐床のどれかの中の人が死亡したのだ。<br />
　ふたりは目を合わせ、しばし言葉をなくした。ひとつ寐床が空いたということでもあったが、その数を数える気には、とてもなれなかった。<br />
「天務卿」<br />
　沈黙を破ったのは、ヴィンのほうだ。<br />
「邦都に、お戻りください」<br />
　唐突な提案に、天務卿はおどろき、激しく首を横に振った。<br />
「何を言っている！　君は、私に逃げろと……！？」<br />
「そうでは、ありません」<br />
　ヴィンのやわらかな声が、包み込むように投げかけられる。天務卿は口を閉ざした。<br />
　ヴィンは続ける。<br />
「邦都には、空の寐床がまだ百くらいはあるはずです。今ここにいる者たちを寐床ごと待避させ、かわりに邦都のをこちらへ据えるというのは、どうでしょう。できませんか？」<br />
「うむ……」<br />
　天務卿は考えこんだ。<br />
　ヴィンの案を実行するとなると、その動作は天務卿自身の管轄になる。功務卿が健在であった時代にはこの種の転移輸送は頻繁におこなわれていたが、今は門の力を借りないと難しい。マクエークと邦都をつなぐ門はどちらも正常稼働しているから、双方の転移基準点をずらせば可能だろうが、その設定変更にはたしかに、天務卿がいったん邦都に戻る必要があった。<br />
「蛮族の到達予測は？」<br />
「２日後の、夜です」<br />
「……」<br />
　ただちに、工程を思い描く。邦都へ行ったり戻ったりするにも門を使うから、邦都がわの設定が先だ。邦王への認証許可と炎務卿への通達に２刻。実際の設定から起動するまで、３刻はかかるだろう。起動を確認したらただちにマクエークへ戻り、マクエーク側の門を設定し直す。なるほど、２日あれば充分間に合いそうだ。<br />
「わかった。君の案を容れよう。となると、早く動いた方がよいな」<br />
　ヴィンは頷き、そして──とても嬉しそうに、微笑った。</p>

<p><br />
「夜襲だな」<br />
　山ごしにマクエークを遠く見下ろしながら、竜の戦士は唸った。<br />
　ツァンの視伺者がマクエーク圏の見取り図を差し出す。麻布に燈灰の墨で描かれたものだ。帝国のように見たものを見たまま転写するすべなど無いから、すべては視伺者の画才次第である。さいわいこの女戦士は筆のうまいほうだった。<br />
「夜襲ですな」<br />
　大刀を負った男が相槌をうつ。「いかにも蛮族らしくて、好みです」<br />
「俺はそこまで言ってねぇんだが」<br />
　竜の戦士は苦笑した。<br />
「言霊人好みの蛮族像を演じてやるってのもまぁ、趣向として悪かねぇが……糧食もそろそろ尽きるし」<br />
　積み上がった穀袋を叩く。たくさん、と見えるが、五千人で割ったら二食分に足りないだろう。<br />
「食い納めのつもりで、全部腹に入れておくか。生き残れたら、ムラガに何とかさせるつーことで……」<br />
「そんな甲斐性、あの男にあるかしらね？」<br />
　弓を携えた銀髪の女が揶揄したので、戦士達はげらげらと笑い出した。<br />
　竜の戦士もひとしきり笑った。笑い疲れたところで、続ける。<br />
「帝国兵はどうやら、俺たちより目が悪ぃからな。夜のほうがいいだろう。もっとも、紫の髪のやつは、わからんが」<br />
「無茶言わないでよ」<br />
　ツァンの視伺者は眉をしかめた。<br />
「あの圏の帝国兵は紫の髪ばかりよ。そりゃ、目で私に勝てはしないでしょうけど、貴方たち黒竜と比べたらどうかしら」<br />
「今日は頂月の日だ」<br />
　竜の戦士が無造作に言うと、一同はしん、と息を飲み込んだ。</p>

<p><br />
　頂月とは、光の月セレネがもっとも高く昇る日のことである。<br />
　もっとも夜が明るい日。ナーガの神官によると、今日から数日はおおむね晴れるというから、なお都合がよい。<br />
　日が沈みきってから一刻あまり後。独立軍の戦士たちは、マクエークを臨む山裾へ、ひたひたと寄っていた。<br />
　圏全体が紫色の淡い光に包まれている。<br />
　術法防護。<br />
　炎のようにゆらめく力場が、城壁のひとまわり外に壁を築いている。<br />
「破るか」<br />
　まるで薄布でも見たかのように竜の戦士が言う。竜旗を大きく振ると、弓を持つ者たちがいっせいに射始める。雨のように降り注ぐ矢はしかし、すべてが力場に弾き出された。<br />
「神器をもってしなければ、破れぬようね」<br />
　さきほど見取り図を差し出したツァンの視伺者──闘神アシュラの神官でもある女戦士がつぶやくと、竜の戦士は振り返った。大きく肯く。女戦士は不敵に笑い、手に携えていた槍を傍らの者に預ける。かわりに輜重車に積んだ大弓をとり、矢を番えた。他の３倍はあろうかという太い矢柄、炎貴石の鏃をそなえた矢だ。きりきりと弦を引きながら、高らかに謳う。<br />
「勝利を約せしわが黄金の炎よ、力を与えたまえ。……烈炎矢！」<br />
　弦によらぬ力が、彼女もろとも弓矢を激しく包み込む。撃ち出された矢は他の矢を焼き落としながらすすみ、紫に燃える壁をやすやすと通り、マクエーク風端（風方＝南の端）に立つ碑に突き立った。<br />
　ぴしいっ、と澄んだ音が響いて碑がふたつに割れる。<br />
　と同時に紫の壁は沈むように消え失せた。<br />
　竜の戦士は碑のもとへ駆ける。整然と、他の者達も続いて走った。<br />
　また、竜旗を振ると、戦士たちはいっせいに鉤爪を投げ上げた。<br />
　カン、カン、と城壁に爪が食い込む音。<br />
　我先に繋いだ綱をたぐり、城壁の上へと這いのぼる。ここでもやはり、一番乗りは竜の戦士だ。がっしと、壁道の上面を足指で掴むようにして立ち、竜旗を掲げる。<br />
　──我こそは、竜の戦士。<br />
　本人が音に出して名乗る訳ではないが、白々しく影をはなつ月を背に立つ姿を見れば、誰しも耳にその声を聞くだろう。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_7.jpg" width="420" height="315" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p>　旗を大きく振って投げ下ろす──その過程でうまく揚力を得て、一気に飛び降りる。竜の戦士のいつもの突入方法だが、帝国兵は呆気にとられた。まさかこの高さを、術も使わず飛び降りる人間が居ようとは！<br />
　着地したとみるまに、余勢を駆って突進、剣を抜く。抜きはなった瞬間、既に数人が肉塊と化す。死をもって道をひらく戦神。敵には恐怖と絶望を、味方には畏怖と未来を。その圧倒的な力。<br />
　一拍おいて落下する竜旗。竿尾を引っ掴み、大きく薙ぐ。幻惑され、あわてて後退る帝国兵たちの背に、無数の刃と矢が降り注ぐ。<br />
　これは、違う。<br />
　闇に隠された帝国兵たちの表に、恐怖の色が宿った。<br />
　これまでに相対した蛮族とは、あきらかに違う。敵せない。<br />
　ふつうの兵が敵わぬとなったら……彼らの頼る力は、ひとつしかなかった。</p>

<p><br />
　マクエークの中央、六角の柱塔のなかにある転送室。<br />
　マクエークの要すなわち門のあるこの場所に、天務卿とヴィンは居た。<br />
　転送される者は、起動のその瞬間に六芒紋の中に居なければならないから、代わってヴィンが端末の操作を行うことになる。天務卿に背を向け、黙然と設定を続ける──それが少々長すぎるように感じたとき、室にヴィンの部下が駆け込んできた。<br />
「申し上げます！」<br />
　ただならぬ凶相、天務卿は足を踏み出しかけたが、ちょうど六芒から垂直に放たれた光に阻まれた。光は柱状に展開され、天務卿のまわりの空間を切り取ってゆく。<br />
　何事かと、聞こうとしたとき、</p>

<p>　どおおおおおん</p>

<p>　と、耳が破れそうな音と共に端末が砕け散った。<br />
　一瞬、ヴィンの身を案じたが、振り返った彼の表情を見て、天務卿は叫んだ。<br />
「何をする！」<br />
　笑っている。<br />
　そうだ。事故ではない。ヴィンが爆破したのだ！<br />
「まさか、敵襲が２日後というのは嘘か！」<br />
　ヴィンは微笑むだけで、答えない。そうしている間にも、光の柱は確固たる線を描き、ヴィンの居る空間とこことを切り離してゆく。たまらず、手を伸ばした。──届かない。<br />
「ヴィン君、転送を止めてくれ！私は……私は！！」<br />
　世界の理に阻まれる。わずかな距離に見えるのに。たった１０歩かそこらなのに。既にもう、触れることすらできない。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_8.jpg" width="300" height="225" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p>　声をからして叫ぶ天務卿に、ヴィンはまた、微笑んだ。<br />
「あなたは民の父だ。死んではなりません」<br />
　ああ──とうとう、姿さえ歪む。空間の歪みと、涙で曇った視界とで。<br />
　見えなくなってしまう。</p>

<p><br />
「天務卿……ご武運を」<br />
　その声はたぶん、届いたはずだ。<br />
　天務卿の姿は光の粒となり、ヴィンの前から消えていった。<br />
　光の残滓を名残惜しげに見つめるヴィンに、部下が走り寄る。<br />
「ヴィラン節下！」<br />
　ヴィンは振り返った。<br />
「わかっている。来たのだろう、竜の戦士が」<br />
　頷いてみせる。<br />
「いま、私が出る。これ以上お前たちを損なうわけにはいかない」<br />
「節下……！」<br />
　唇をわななかせるその男の髪は、ヴィンと同じ、紫の色をしていた。代々仁務卿に仕える家の者だ。<br />
「……何故、逃げなかったのですか！」<br />
　ヴィンよりも頭ふたつ大きなその男は、掴みかからんばかりの剣幕で叫ぶ。ヴィンは不思議そうに首をかたむけた。<br />
「私はマクエークの都護だよ。ここを守るのは、私の使命だ」<br />
「違います……！」<br />
　男は血を吐くように言葉を押し出した。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_9.jpg" width="420" height="315" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p>「御身の価値は、ただ七家議の一角であるというに限らない。一圏の都護などという、小さなものでないのはなおのことです。我らアフネリアの民を救い導く可能性を、志をもつ、七家議最後の尊姿だ」<br />
　そう言って、天務卿が去ったあとの六芒紋を恨めしげに見つめる。<br />
「あの天務は妻子への妄念に囚われたままで、息子はいまだ呆けたままと聞く。炎務の子女おふたりはすでに亡い。邦王は后に先立たれ、治務はそもそも子を為せず、封務のご子息はごく幼いうえ、七家議の資格だって、持つか持たぬかだとききますよ。御身だけだ、我々の、最後の希望は。なのにそれを、今ここで擲つとおっしゃる……！」<br />
「ひどいことを言うね。天務卿は立派な方だよ。息子さんだって、今年の首席だ」<br />
　ヴィンは悲しそうに、男の言を否定した。男はうつむく。<br />
「そりゃあ、あの方が悪人でないことは存じておりますとも。しかし、あの方が生き延びたとして、我々の世界に平和と安寧をもたらしてくれるとは、とても思えない。なにより……」<br />
　と、男はヴィンの目を見すえて言った。<br />
「我々はあの方でなく、御身の部下です、ヴィン＝ヴィラン都護節下。我々の未来とは、節下御自身のすこやかな御成長であり、御志のもたらす世界のこと。それを奪おうというのだから、あの方に好意をもてるはずがない」<br />
「私の意志だよ。あの人の望みじゃない」<br />
「同じことです」<br />
　男は深い深い溜息をついた。「節下。どうかお考え直しください。竜の戦士を倒せば、たしかに戦線は回復するでしょう。しかし御身と引き換えにしては、この国は永遠に光を失う」<br />
「買いかぶりすぎだ」<br />
　ヴィンはゆるやかに苦笑した。<br />
「私は目の前の責務を果たすだけだ。それが帝国のためであり、ひいてはお前たちのためだろう？」<br />
「御身はなぜ……！」<br />
　男は我をわすれて手を伸ばした。ヴィンの肩をかき抱く。<br />
「……ご免」<br />
　ヴィンはつぶやいた。<br />
「お前たちの期待は、知ってるつもりだ。だけどね……私は」<br />
　ふっと、息を吐く。その言の葉の硬さに、男は息をのんだ。<br />
　ヴィンは続ける。<br />
「私にとっての帝国は、あの人だから。あの人を失った世界なんて、意味が無いんだよ」</p>

<p><br />
　司令室の窓から見下ろすと、マクエークを一望できる。美しかった街路が無惨に打ち砕かれ、炎を上げているのがよく見える。ヴィンの目にはなおさら、はっきりとわかった。<br />
「ふう……」<br />
　大きく息をつく。<br />
　黒い鞭のように、撓りながらも確とこの塔をめざす者が居る。あれが、竜の戦士だろう。<br />
　……どちらかがやらねばならぬことだ。ならば、自分がやる。<br />
　帝国からマクエークを預かったのは、そもそも、自分のほうだ。<br />
「この街を、蛮族には渡さない」<br />
　つぶやいて、部屋を振り返ったヴィンの目に、ちらちらとゆらめく光がうつった。<br />
　天務卿がいつも見ていた静止映像だった。歩み寄る。</p>

<p>　左には若い女性と幼子２人が映っている。天務卿よりも淡い金の髪、長身だがほっそりとした女性らしい体つき、天務卿夫人レミュ＝ラアトのありし日の姿。賢く美しい人で、自身も研究者として知られていたという。レミュの腕に抱かれているのは、判定の儀を経て七家議の力を認められたばかりの次男、ジル＝イリル。ヴィンと同年くらいの生まれだが既に亡くなっている。レミュに寄り添って、こちらを向いて幸せそうに笑っているのが、今の天務卿に残された唯一の家族、長男のガル＝イリル。<br />
　右に映るのは、ガル少年の２、３年前の姿だろうか。軍学校の正服を着て敬礼している。りりしく、少しはにかんだような笑顔。<br />
　彼らすべての瞳が、やさしく天務卿を見つめていて、天務卿は、愛おしそうに見返していた。天務卿を迎えた日からずっと、同じ映像が壁に飾られていた。</p>

<p>　これを初めて見つけたとき、ヴィンの心は躍った。映像の中に入りたいと思った。<br />
　そんなことは叶わないけれど、せめて、この「優しい家族」を守りたいと──<br />
「……ふふ」<br />
　ヴィンは表情を崩した。<br />
　一時凌ぎに過ぎないことは、分かっている。<br />
　天務卿がたぶん悲しむことも。<br />
　それでも、失いたくなかった。<br />
　自分が選んだ道だ。だから何も、悔いはない。<br />
　そっと右手を振る。ふたつの映像は光の球となり、壁に溶け込むように消えていった。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_10.jpg" width="420" height="315" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p><br />
　街路に居た帝国兵をあらかた片付けてから、竜の戦士は近くの戦士たちを糾合した。<br />
　百の帝国兵を倒すのに、二千ほどの戦士が死ぬか負傷して退却の機を窺っている。帝国側の練度が高いのか、最近にしてはひどい損傷率だが、他の隊に比べればそれでも倍か３倍ぐらいには効率がよい。<br />
「やはり、要はアレだ」<br />
　と、六角の柱塔を旗で指し示す。<br />
「『水晶剣』によれば、ここに敵弾２発ということだが、まだそれらしい奴は出てねぇ。ということで、アレに突入するから、命の惜しくない奴は俺に続け。適当に惜しい奴は、外で遊んでてくれ」<br />
「この期に及んで、惜しいも惜しくないもないですよぉ」<br />
　誰かがおどけるように言うと、戦士たちはいっせいに笑った。<br />
「よし。行くか、馬鹿ども！」<br />
　応、と喊声が起こる。竜旗が高く打ち振られ、打ち下ろされた。</p>

<p><br />
　喧噪が近づいてくる。怒号、剣刃の打ち交わす音。しかし、塔の扉は、他の建造物とはわけが違う。いかに獰猛な蛮族とはいえ、蹴破ることはできないようだった。<br />
　と、赤い力が視えた。炎務の力に似たその力は、扉を成す石を穿ち、砕いた。<br />
　踏み込もうとした蛮族が見えない壁に弾かれたのを見て、ヴィンは笑った。<br />
「竜の戦士といえど、術法防護は人並みに効くようだね」<br />
　帝国の紋の中央に立ち、紫の光を全身に漲らせた少年の姿を見て、竜の戦士も笑った。<br />
「俺も大物になったもんだと、感動するなぁ。出迎え大儀である、とか言った方がいいのか、『次期仁務卿ヴィン＝ヴィラン』」<br />
　ヴィンは目をみはった。<br />
「蛮族が、我々個人の名前まで知っているとはね。驚いた」<br />
　そう言う間にも、ヴィンの光は眩しさを増す。竜の戦士の背後では、件のアシュラ神官が三本目の矢を番えている。ヴィンの力が発効するか。防護壁を破り、竜の戦士の刃がヴィンに達するのが早いのか。その、勝負だ。<br />
「勝利を約せし黄金の炎……」<br />
　竜の戦士は竜旗を投げ出し、剣を腰だめに構える。<br />
　後の世に疾剣の奥義と伝えられる、潜竜の構えだ。<br />
　ヴィンの髪を束ねていた翅生の帯が千切れた。風に煽られるように、髪が逆立つ。<br />
「我に力を──烈炎矢！」<br />
　竜の戦士は、その口訣が終わるのを待ってなどいなかった。矢が不可視の壁に届く、その数分の一秒後の瞬間を測って、地を蹴る。同時に、無数の矢が放たれた。竜の戦士はまっすぐに跳ぶから、その軌道を避ければ彼に当たることはないと踏んでのことだ。<br />
「殺った……！？」<br />
　竜の戦士が漏らした瞬間。<br />
　純白の光が、溢れた。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_11.jpg" width="420" height="315" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p><br />
　竜の戦士は手元を見た。刃が確かに貫いたと見えたのだが……そこに、ヴィンの姿はない。顔を上げると、白い光の中、さらに数歩のところに、穏やかに笑っている。<br />
　歩み寄ろうとしたが、距離が近くならないので、現実でないと分かった。<br />
「これは、やられたな」<br />
　竜の戦士は剣を納めた。その、仕草をしたのだが、すでに手に剣はなかった。<br />
「幻か？」<br />
「違うと思う」<br />
　ヴィンは笑った。<br />
「七家議の力は御し難いものだね。誤って殺してしまうかと思っていたんだけど、誰も死んでないみたいで、よかった」<br />
「誰も？　おかしなことを……」<br />
「私の部下は、誰もね」<br />
　ヴィンはいっそう微笑んだので、竜の戦士は得心した。<br />
「俺たち『蛮族』ははじめから殺す殺さないじゃねぇわけだ、虫の駆除の扱いか。帝国のエラい人間は、そうでなくちゃあなあ」<br />
「人の力は視覚、情報、そして魂。君たちの魂はすべて、私が奪った。このまま潰すよ」<br />
「全滅ってことか。そりゃ、参ったな」<br />
　竜の戦士は頭をかいた。<br />
「まー、俺に限らず、さんざ殺してきたからなぁ。こんなもんか」<br />
「蛮族の価値観は分からないな。罪悪だと思っているのか？　我々、人を殺したことを」<br />
　ヴィンは首をかしげた。<br />
「まさか」<br />
　竜の戦士は苦笑する。<br />
「こっちだっておんなじだ。同族を生かすためなら、相手が神だって殺してやらぁ」<br />
「気が合うね、案外」<br />
「ンな訳ねぇだろ、クソ野郎」<br />
　……光の白に塗りつぶされるように、竜の戦士の意識ははじけて、消えた。</p>

<p>　とたん──現実のマクエークでは、紫の光がはじけていた。<br />
　外壁を、外壁の外の山ひとつ外まで覆い尽くし、波のように揺れる光が、数刻に渡って漂い続けた……</p>

<p><br />
　その頃ブロスは、スイモミスク郊外に居た。</p>

<p>　マクエークに天務卿が居ると知って、ブロスはあらためて炎務卿の配慮に感謝した。<br />
　ブロスは生後すぐ、二度にわたって生命の危機に遭っている。<br />
　一度めは、生命体としての危機だ。言霊人の赤子は生後しばらくは専用の寐床の中で育てられる。蛮族の赤子は母体から分泌される白い液体を吸って食餌とする。だが半蛮族であるブロスは、そのどちらとも異なった生命だった。飢餓状態に陥った彼を手を尽くして救ったのは、亡き天務卿夫人レミュ＝ラアト……ガルの母親である。<br />
　そして二度め。政治的危機だ。七家議のひとりたる者が蛮族と子をもうけるという最大級の不祥事、当然その結果たるブロスも抹殺されるか、さもなくば蛮族の中へ投げ捨てられるはずだったのを、子に罪無しとして言を尽くして助けてくれたのが、天務卿ユオザ＝イリル、その人だった。ブロスにとっては大恩人だ。<br />
　都護補佐着任に遅れぬように、せめて門の位置を前日のうちに確認しておこうと、地図板を手にスイモミスクの街中を歩き回る。これまでは、半蛮族への蔑視のまなざしを憚って人の多いところには行かないようにしていたのだが、卒業章……階級章を得た今は、胸を張って歩くことが出来る。<br />
　マクエークへの門の入口へ辿り着いたときには、日が暮れていた。門衛にかけあって中へと入れてもらう。通路の奥に六角の小さい堂、六芒の描かれた陣、壁ぎわにある端末で制御するのだろう。軍学校の中にある実習用の門より数倍、大きい。……少々蜘蛛が巣を張っていたり、モニタの湖石が欠けているのは、歴年の使用に耐えてきたのを物語っているようで、むしろ誇らしかった。</p>

<p>　さて、ときびすを返しかけたとき、背後の陣に閃光が走った。<br />
　誰かが門を使用している。ここへ、転移してくる。<br />
　門衛があわてて駆け寄ったのをみると、想定外の事態のようだった。ブロスはせっかくなので見学していくことにした。<br />
　床の六芒がまず、青白く光りはじめる。光はやがて円筒状の柱となった。光の柱の中央部に繊維状の光があらわれ、よりあつまるようにして大きくなってゆく。やがてそれは人の形をとる。金の長い髪、裾の長い正服、金のふちどりの数は２本──<br />
「天務卿！？」<br />
　これから会いにゆくはずの。<br />
　どうして、とつぶやいたとき、別のほうからばちっと大きな音がした。<br />
「……！！」<br />
　端末が、火花を発している。<br />
　光の柱の中の天務卿は、何度も内側から柱に触れたが、その柱が完全に消えるまでは、こちらの様子は見えても外には出ることができないようだった。<br />
　光が消滅した瞬間、端末へと駆け寄る。<br />
「天務卿……？」<br />
　ブロスの声も姿も、まるで認識していないようだ。<br />
　眉をきつく寄せ、唇を結んだ表情は、怒っているのか、と見えたが、<br />
「ヴィン君……！！」<br />
　押し出した声の色を聞いて、泣いているのだとわかった。<br />
　くりかえしくりかえし、むやみに端末のパネルを押す。反応は、ない。<br />
　先刻の火花……とうとう、この門も壊れてしまったのだろうか？<br />
「くっ……！　通じん……！」<br />
　端末に掌をつき、深くうなだれる。涙のつぶがいくつも、モニタの上に散った。<br />
　そのとき、</p>

<p>　ポーン</p>

<p>　通信音がした。この端末の機能にはないはずの音だ。天務卿ははじかれたように顔を上げて叫ぶ。<br />
「ヴィン君……ヴィン君！」<br />
　応答はなかった。かわりに、モニタに表示された一文。</p>

<p>　──ヴィン＝ヴィラン　我、帝国の砦なり──</p>

<p>　その文の下へ、操作ボタン画像が配置されている。ちらちらと誘うように光るボタンを押すと、文は消え、２枚の静止映像が映し出された。<br />
　司令室でいつも、天務卿が眺めていた──<br />
　一枚は、幸せな家族の。一枚は、父を信じる息子の。<br />
　天務卿。あなたは民の父だ。だから。<br />
　ヴィンの声が耳に反響する。<br />
　……こんな。こんなにも優しいのに。<br />
　なぜ、彼が死んだ。なぜ、私がここにいる。<br />
　たまらず、モニタをたたき割る。湖石のかけらが、拳を深く傷つけているが、傷の痛みは、もっと鋭い痛みにかき消された。<br />
「なぜ、私はまた……！！　ヴィン君……！」</p>

<p>　ブロスはただ呆然として、泣き叫ぶ天務卿を見ていた。<br />
　これが今の現実なのだと、これが自分の立ち向かうべき戦争なのだと。<br />
　初めて、思い知ることになった。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_12.jpg" width="300" height="225" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>
]]>
        
    </content>
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    <title>第３話 「決戦のマクエーク」（前編）</title>
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    <published>2007-05-14T06:30:53Z</published>
    <updated>2008-01-23T17:44:55Z</updated>

    <summary>　黄金の長い髪が、微風をはらんで揺れる。
　朝やみに包まれた広い室、壁には２枚の静止映像が、薄明るく男の顔を照らしだす。
　一枚には、儚げに微笑む若い女性と、腕にとりすがり笑うふたりの幼子。
　もう一枚には、まっすぐなまなざしで敬礼する少年の姿──
「ガル」
　男はうつむき、深い息を吐き出した。</summary>
    <author>
        <name>玉英</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://reiju.zarasu.com/">
        <![CDATA[<p>　湖西地区本部マクエーク。<br />
　この圏には古来より、仁務卿の縁者が封じられてきた。<br />
　規模としては大きいが、軍備は万全であるとは言いがたい。<br />
　この地が戦場になるなど、ありえないはずだった。山が三方を囲み、切り通しの崖下にそれぞれ、軍門が設置されている。一方はアフヌマ湖に接している。天然の要害、それで充分だったのだ。蛮族の拠地からも、離れていた。<br />
　しかし数年来、状況は変わった。三方の道の先の圏のうち二つはすでに陥とされた。<br />
　今、マクエークには術法防護が施されている。言霊人でなければ通り抜けできない不可視の網が、すっぽりと石の城壁の外を包んでいる。魂もたぬ物体──たとえば矢など──も、阻むことができる。ひとまずの時間は稼げようが、動力たる湖石は無限ではないし、蛮族のなかには術法に対抗できるようになった者もいるときく。<br />
　金の髪の男が佇んでいるのは、そのマクエークの最上階、司令室だった。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_1.jpg" width="420" height="315" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p>　天務卿。ガル＝イリルの父親にして、術法を司る天の一族の長、イリル家当主。<br />
　現在のマクエーク駐留軍の司令官は名目、彼ということになっているが、元来研究肌の男であって、こんなところに出る気質のもちぬしではない。<br />
　それが引っ張りだされたこと自体、帝国の黄昏を顕しているといえるかもしれない。<br />
　アフネリア七家議は一角を欠いている。すなわち功務卿。<br />
　功務は空の一族、転送門の守護の司。血族がすべて絶えたわけではないが、数十年前、バルス戦役で先代の功務卿タブ＝イノーマを亡くしてから、「七家議の力」のもちぬしが一人も出ていない。<br />
　力なくして議事に列されることはありえない。他国から新しい家が送られるという話が出たこともあったが、いずれの国にも余力は無く、今に至っても空席のままとなっている。<br />
　転送門の管理は、だからかわりに天の一族が統括していた。空の一族でなければ外への門を開くことはできないが、ふだんの運輸通行にはだましだまし、使うことができている。<br />
　マクエークは、問題なく使える門がある圏のひとつだ。<br />
　だから戦線になったとあっては、天務卿が出ない訳にはいかなくなった。<br />
　七家議の議事とは帝国で最高の位だ。しぜん、マクエーク軍の頭、ということになってしまった。</p>

<p>「お呼びですか、天務卿」<br />
　やわらかな声とともに扉がひらいた。<br />
　歩み寄ったのは、鮮やかな紫の髪を肩から前へ流した少年である。<br />
　本来、マクエークの司令官は、彼のほうだ。<br />
　マクエーク都護、ヴィン＝ヴィラン。仁務卿のひとり息子。情報の司である人の一族らしく、冷静にして収集力分析力ともに優れ、「七家議の力」も申し分ない。軍学校を出ていないので、正式に叙されてはいないが、誰もが認める次期仁務卿。<br />
　司令権を無理矢理に天務卿に奪われた形になるのだが、そのことで彼が文句を言ったことは一度もなかった。むしろ甲斐甲斐しく仕えている、と見えるのが、しばしば、彼のもとからの部下の不満の種となる。<br />
「ああ、ありがとう」天務卿は瞳をなごませた。「状況はどうかね」<br />
　ヴィンはかるく首をふる。<br />
「良くありません。……物資の補給は、完了しました」<br />
「ご苦労様。少し休んでいかんかね」<br />
　それどころでは、と言いかけたが、天務卿に笑顔を向けられては抗せず、椅子をひきよせて腰をおろす。天務卿はヴィンの向かいへと座った。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_2.jpg" width="300" height="225" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p><br />
「実はね。明日から君に補佐をつけることにした。門の整備をしておいてくれないか」<br />
　初耳だった。ヴィンは大きな瞳をみはって天務卿を見上げる。<br />
「明日、ですか？」<br />
「軍学校の卒業式が、今日だったものでね。首席を指名したんだが、統帥に却下されてしまった。次席の子が来るそうだ。相談もしなくて、悪かったね」<br />
「いえ……」<br />
　ヴィンは考え込んだが、すぐ頷いて、<br />
「お気遣い感謝いたします」<br />
　きまじめに礼をする。天務卿は笑った。<br />
「同年代だと思うが。君は、いくつだったかな」<br />
「一四です」<br />
「では、君が年少だな……軍学校には行かなかったのかね」<br />
「……はい」<br />
　ヴィンはかすかに眉を寄せた。<br />
「母が、悲しみますので」<br />
　はっと、天務卿は息をのんだ。<br />
　ヴィンの父親、仁務卿が生徒達に厳しいのは周知だが、それと同じくらい知れ渡っているのが、夫人との不仲の噂だ。家格の釣り合いのみから娶され、互いに何の信愛も持たぬ夫婦関係というのは、天務卿の想像のまったく外にあった。ヴィンが軍に入る前、夫人と共に暮らしていたことは聞いていても、それとこれとを結びつけて考えたことはなかった。<br />
「悪いことを聞いてしまったかな」<br />
　天務卿は気まずそうに言った。ヴィンは首を横に振る。<br />
「いいえ」<br />
　少しの沈黙のあと、ぽつりと漏らす。<br />
「悪いのは、私です。……両親のために、何もできなかった。何もできないまま、逃げ出してしまった」<br />
　何かを含むようにして、下を向く。<br />
　たとえ蛮族を討ち滅ぼし、世界に平和をもたらすことができたとしても、望むものは、きっと手に入らない。そこに居るのは、七家議の誇りに溢れた都護でも、冷徹な諜者でもなく、ひとりの無力な少年だった。<br />
「ヴィン君……」<br />
　子を思わない親などいないと、そう声をかけてやりたかった。だがヴィンの父親は天務卿ではないし、天務卿の息子は、ヴィンではない。ヴィンに言っても、本当に伝えたい相手に伝わるわけではない。<br />
「本当はね」<br />
　天務卿は立ち上がって窓越しの景色を見下ろした。マクエークはアフヌマ湖に近い圏だ。ガルの居る邦都スイモミスクは、湖の中央。ここからは遠くてとても見えないが、方角としてはこちらの筈だ。<br />
「息子を呼ぼうと思っていたんだ。……何もできないのは、私も同じだ。せめて会ってやりたかったんだが、うまくいかなくてね」<br />
　ヴィンは、せつないような気持ちに駆られた。自分が望んでやまないもの、それを持っている人が、すぐ傍らに居る。自分の父親は果たして、こんな気遣いを持ってくれたことが、一度だってあるのだろうか？<br />
「お気持ちはきっと、伝わっているはずです」<br />
　ヴィンは語気を強めた。<br />
「軍務を放って子のもとへ行く七家議など、居るはずがないでしょう？　あなたは民の父だ。ここに居てくださって、我々がどれだけ心強いか……！」<br />
　私がどれだけ、救われているか──<br />
　あなたが父親だったら良かったのに、と。<br />
　飲み込んだ言葉を聞いたように、あたたかな手が、ヴィンの髪にそっと触れた。</p>

<p><br />
　マクエークは旧い圏だ。どんな処か、と問われたらいろいろな答えが返せる。名産、出身の著名人、圏の歴史──。だが今や、学校で詰め込んだそれらの知識は、まったく無用のものだった。<br />
　この地図の前では。<br />
　ブロスは戦慄した。<br />
　いつ攻められてもおかしくない。防げない。そうとしか見えない。<br />
「これが……現実なのですか」<br />
　声を震わせるブロスに、炎務卿は無言で頷いた。次席といっても、まだ軍学校を卒業したばかりの少年だ、怖れているのか、と思ったが、そうではなかった。<br />
「許せない……」<br />
　低く、呪詛の言葉をつぶやく。<br />
「蛮族め……我らを殺戮し、蹂躙し、圏を破壊し、なにもかもを奪う気か……！」</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_3.jpg" width="420" height="315" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p><br />
「たしかに損害は大きいな」炎務卿は頷いた。「マクエーク北方のディスガバンは湖石の集積所だ。あれを取り戻さねば、我がアフネリアも火国ラマナカのように、二人目の子どもは殺せ、との法をつくらねばならなくなるかもしれぬ」<br />
「そんな……！」<br />
　ブロスは拳で机を叩いた。<br />
「そんなことは、絶対に、させない！」<br />
「だが容易ではない。マクエークすら、風前の灯火だ」<br />
「俺なら、みすみす、こんな……！」<br />
　叫びかけて、ブロスははっとした。<br />
　まだ一度も実戦に出ていないひよっこの、言うことではない。<br />
「……失礼しました」<br />
「意気やよし。やはり、この任は君が適当のようだな」炎務卿は泰然として美髯をしごいた。「天務卿からは、ガル君をよこしてくれと、言われたのだが」<br />
「ガルを？　何故」思わず問うてしまい、ブロスはまた首をすくめて恐縮の体を示した。「失礼を」<br />
「秘することでもない」炎務卿はかるく首をふった。<br />
「卒業式に臨席できなかったから、会うため……とは、さすがに思わんが、」炎務卿は言ったが、眉間の皺が深くなったのをみると、そう疑っているのは容易に窺える。「正確には、軍学校の首席卒業者を、と言ったのだ。ガル君には別の任を与えることにした、だからガル君と同等の力をもつ、君だ」<br />
　ブロスは、卒業式の後の、塔での会話を思い出す。通知が遅れたことを、ガルは不安がっていたが、やはり炎務卿は、ガルを信じていないわけではなかったのだ。<br />
「むしろ、私は君のほうに期待している」<br />
　炎務卿は続ける。<br />
「ガル君が首席なのは、確かだ。次期天務だから手心を加えたと疑う者もいるようだが、公正だ。安心したまえ。だが、こと軍の運用や作戦計画に関しては、君の成績は他を圧倒している」<br />
　言葉を切り、炎務卿はブロスの瞳を見据えて、こうも続けた。<br />
「君が、カナの代に出なかったのを惜しむばかりだ。君が封務卿なら、我々と肩を並べて戦えたろうに」<br />
「そんなことは……」<br />
　ブロスは胸がふさがれる思いがした。<br />
　母の名前を、ブロスの前で意趣なく口にするのは、生者ではふたりしかいなかった。そのうちのひとりが炎務卿だ。非難しないわけではないが、すくなくとも、惜しんでくれる。<br />
「半蛮族の俺にその資格がないことは、自分が一番知っています」<br />
「確かに、君には七家議の資格はない。功務すら挙げられない今、君が封務を継ぐことは十割、ありえんな」<br />
　言い切ってから、笑う。<br />
「だからと曰って、君の存在は、帝国に必要だ。ハマナは……封務卿が、君を快く思っていないのは承知している。しかしリンウとは、仲は悪くないのだろう？」<br />
　炎務卿は封務卿の愛息の名を挙げた。<br />
「と……俺は、思っていますが」ブロスは首を横に振った。「本当のところは、わかりません。きちんと話をしたこともないですし、最後にお会いしたときは、リンウ様はまだ五つかそこらで」<br />
「乗っ取りと慮られるくらいの策謀をめぐらせてでも。君には、もっと積極的に、リンウと接触してほしいのだがね」<br />
　炎務卿は笑った。<br />
「それは……」<br />
　ブロスは言いよどんだ。<br />
　リンウ本人の人柄は、疑っていない。母親がああでも、周囲に仕えるのはもとエクスタ家に仕えていた者たちだ。きっと、まっすぐな少年に育つだろう。<br />
　だが。母親のほう、封務卿は、髪のひとすじすら視界にいれたくはない。<br />
　地位と、名誉と、家と、やさしい人々と、命と。<br />
　母が、カナ＝エクスタが持っていたものをすべて奪った女。<br />
　そのうえ、ことあるごとに、母を──裏切り者と。<br />
　許せない。<br />
　自分が責められるならいい。存在自体が帝国への裏切りである、俺ならば。だが。<br />
　母を責めるのは。<br />
　許せない。<br />
「俺は」<br />
「……悪かった。そう睨むな、ブロス君」<br />
　炎務卿には、言わんとするところは疾うに読まれている。絶妙な間で遮られて、ブロスは口をつぐむしかなかった。<br />
「だが君がほんとうに帝国を想うなら、心にとめておいてくれまいか。我にどうにか出来ることなれば、しよう。しかしせいぜい、我が手の及ぶのは、君やガル君の代までだ。その先の未来を繋ぎ、リンウ君や、その下の者を守ってやれるのは、多分君しかおるまい」<br />
「炎務卿……」<br />
　ブロスが複雑な顔をしたのを見て、炎務卿は笑った。<br />
「無論、命を捨てる気はまだ、ないが。リンウ君が封務に立つのを見ることは、まず、あるまい」<br />
　炎務卿は軽くブロスの肩を叩いた。<br />
「それが、言っておきたかった。戦況は厳しいが、君には期待している」<br />
　決して、捨て駒にするつもりではないのだと。<br />
　言外に聞こえたような気がした。ブロスはあらためて、炎務卿を見た。<br />
　その言葉こそ、本当に伝えたかったことだろう。<br />
　ブロスは深々と、頭を下げた。</p>

<p><br />
　マクエーク司令室は張りつめた気で満たされていた。<br />
「最悪の現実を貴方のお耳に入れなければならないのは、心苦しいのですが」<br />
　言いながら、ヴィンは天務卿と、室に詰めた部下たちの顔をゆっくりと見回す。<br />
「憂鬱だが。聞かねば対策のとりようがないな」<br />
　天務卿は顔を大壁へと振り向けた。<br />
「では、まず、こちらを」<br />
　と、ヴィンは大きく腕を振るった。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_4.jpg" width="300" height="225" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p><br />
　手のひらが紫に発光している。彼の力に呼応して、壁が淡く光り、マクエーク周辺の地図が浮かび上がる。<br />
　帝国の情報システム「ミム」の端末へ、機器を使用せずに指令を与え、望んだ情報を望んだとおりに出力、転送する。これは仁務卿の一族の──「人」の力の一端だ。<br />
「蛮族の数は約５０００。ワグモ山道から進軍中です」<br />
　５０００、と慨嘆の息が漏れる。<br />
「せんだって、それくらい潰した筈では」<br />
　と声が上がると、<br />
「いや、潰したのではなく、燻したまで。巣穴から散った者どもが、また終結したのでしょう」<br />
　という意見があり、天務卿は頷いた。<br />
「まるで毒虫のようだな。どこから湧いて出るやら、わからぬ」</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img03_5.jpg" width="300" height="225" alt="第３話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p><br />
「侮ってはなりません。蛮族の軍としては数は大きくありませんが、もっとも凶悪な者どもです」<br />
　ヴィンはまた手を振った。<br />
「これは、つい２日前、ディスガバンが潰されたときのもようです」<br />
　帝国兵と、蛮族の者たち。帝国兵は通常、一人で蛮族十人には敵することができるとされる。強力な攻撃の術を生身で使うことができる者は今ではわずかしかいないが、代わって、遠くからでも正確に射ることのできる射兵器、光束の刃こぼれしない剣、神々の大戦時の板金鎧の十倍の強度をもつと伝えられる翅生の服──を装備しているからだ。<br />
　しかし映像中で展開されているのは、一方的な虐殺の光景だった。大きな体躯と俊敏な体さばきを兼ね備えた二本足の猛獣ども、振り回しているのは青金の刃もつ貧弱な剣のはずなのに、一閃ごとに帝国兵が刻まれてゆく。一同ひとしく息をのんだ。<br />
「……ありえない」<br />
　よくよく見ると、すべての剣は淡い青や赤の光をまとっている。なにがしかの術法だろうか？　言霊人の翅生の理力を上回るほどの？<br />
　そしてひときわ目をひくのが、漆黒の長い髪をうねらせて走り抜ける男だった。右の手に剣、左手には大きな旗を振り回している。<br />
「これが、竜の戦士か……！！」<br />
　一同戦慄した。<br />
　マクエーク兵はまだ対峙したことがない。名はすべての者が耳にしてはいるものの、姿を目にしたことは、なかった。<br />
　なるほど凄まじいとしか言いようのない戦いぶりだ。あんなに目立つ態をしているのに、帝国兵が誰一人として近づけないでいる。射兵を構えても、味方が邪魔になる、そういう位置にすぐ走り込んでしまう。<br />
　まさに戦場を駆ける、変幻自在の竜。<br />
　その彼に気をとられると、背後から別の蛮族にばっさりやられるという寸法だ。<br />
「だから、ディスガバン都護は、七家議の力を使わざるをえなかった、というわけです」<br />
　ヴィンは言い、天務卿を振り返る。天務卿はあきらかに目線をそらした。</p>

<p><br />
　すべての言霊人は、特定の言葉を発することで、世界になにがしかの影響を与えることができる。それが、術法だ。そもそも言霊人という名前が、この力をもつゆえにつけられた。<br />
　力を失った者は忘人（チャーズ）と呼ばれ、帝国から追放されてしまう。言霊人にとって、術法が使えることは己の存在と同義なのだ。<br />
　言霊人を束ねる七家議、その議事となるためには、さらに特別な力を持っている必要がある。その力は単に「七家議の力」もしくは「資格」と呼ばれる。こちらも、力を持っていることが、イコール七家議であるということだからだ。</p>

<p>　七家議の力について、詳細に語ることは無意味である。各家の司る属性に応じた力であることだけは確かだが、どのような形でどれくらいの威力で発現するかは、使ってみないとわからない。<br />
　そして力を発現した者は、ほとんど例外なく、命を落とす。<br />
　民からは、七家議の力とは「己の命と引き換えに多数の帝国臣民を守ることのできる力」であると、認識されている。たしかに帝国の民にはまったく無影響のまま敵だけを倒す場合が多いが、味方ごと鏖殺した例もある。<br />
　七家議の力があるかないかは、幼い頃に「ヴァルナ・ミム」によって測定され、ある、と認定された者のみが七家議の有資格者となる。無い者はたとえ現七家議の嫡子であっても、位を継ぐことはできない。</p>

<p>　ディスガバン都護は、水の家──アフネリア邦王に連なる家の者だった。家格は高くないが、七家議の有資格者であったゆえに、要衝に配されていた。果たして、七家議の力を使うことになったわけだが、<br />
「発現のしかたが悪かったのか、威力が小さかったか、完全に発現する前に倒されてしまったのか……。とにかく、蛮族にほとんど打撃を与えられなかったようです」<br />
「……都護は？」<br />
「亡くなられました」<br />
　ヴィンは瞳を伏せた。<br />
　現天務卿と、次期仁務卿であるヴィン。両名も、いざという時には、ディスガバン都護と同様、命を捨てねばならない。七家議が前線に出るというのは、そういう意味なのだ。<br />
　しかし、たとえ命を捨てても、無為に終わった例が、ここにある。<br />
「ゆゆしき事態と申し上げたのは、そういうことです」<br />
　ヴィンが言うと、司令室は重苦しい沈黙にふさがれた。</p>

<p><br />
「なぁ、お頭ぁ」<br />
　左腕を麻布で吊った男がのんきそうに声を投げかける。<br />
「俺は竜の戦士だそうだぞ。お頭ってのは、そろそろ人聞きが悪いなぁ」<br />
　相対する竜の戦士は、ほとんど無傷だった。……言霊人の兵器は人体を物理的に破壊するものばかりではないから、傷を負ってなお生き残る者が、むしろ珍しい。<br />
「なんだ。その呼び方、実は気に入ってるんですか」<br />
　若い男がけらけらと笑う。彼はディスガバン攻めで頬に大きな傷が出来た。山賊っぽくなって凄みが増したと、おおはしゃぎだ。<br />
「で、何の用だ？」<br />
「へぇ」<br />
　左腕を負傷した男は、水をがぶがぶと飲みながら続ける。<br />
「いや、他でもねぇ。ほんとにこのまんま、攻め上るんスか？　まだ、ムラガさんと約束した期限には早ぇでしょ」<br />
「んー、はずみで一つ、圏、陥としちまったからなあ」<br />
　ディスガバンのことだ。寄るつもりはなかったのだが、道に迷った隊が居て、糾合していたら帝国軍に見つかった。それで攻めてみたのだが、<br />
「ありゃ、将が無能だな。軍才ゼロだ。まさか敵弾ひとつ落ちてるとは思わなかったが、あれじゃあなあ」<br />
　ディスガバン都護のもつ七家議の力は、大津波という形で発現した。だが竜の戦士の隊の者は、ほとんどが黒竜の民だ。なかに竜神ナーガの神官が居て、うまいぐあいに打ち消してしまった。<br />
「敵に同情する訳じゃねぇが、無駄死にだな、ありゃ」<br />
　身も蓋もない言葉を投げ出してから、竜の戦士は若干、表情を引き締める。<br />
「たまたまだな。次もこうだとは、思わん方がいい。水だったから、泳げれば時間が稼げたが、他だと手を打つ前に炭になってるだろ」<br />
「分かっててなお、行くんスか」<br />
「成り行き上、仕方ねぇな。今回ばかりは、ハラくくってくれ」<br />
　竜の戦士は、ディスガバンの倉から拝借した石をとりだして、陽光に透かした。<br />
　乳白色、半透明の美しい石だ。角度を変えると、中でとりどりの色が反射する。竜眸石──帝国では湖石というらしい。ふつうの人にも宝石として価値が認められているが、神官達にはとくに宝器の材料として珍重されているものだ。<br />
「これを襲ったことになっちまったんだ。『水晶剣』のいう、帝国のあらゆる宝器の霊力源だな。これを奪うっつのは、俺らの言う『逆鱗に触れる』てやつだろう。今、散って隠れたら、湖の人方（北東）一帯が更地だぞ。今、ここに５０００ぐらい居るか──この５０００の命を擲っても、１０万の民の命を贖わなきゃならん。今は、そういう事態だな」<br />
　きわめて深刻な事態を告げながら、からからと笑う。<br />
「ま、逃げたい奴は今逃げといてくれ。俺はいつも、ここが死地か、と思って戦ってるんだが、今回こそほんとうになりそうだからな」<br />
　縁起でもないこと言わないでくださいよ、と誰かが言う。どっと笑いが起こった。</p>

<p>　竜の戦士の言を、誰も本気だと思っていないのだ。</p>

<p>　彼のまわりはいつも奇妙な明るさに包まれていた。浮ついた、と言うべきかもしれない。絶望に墜ちるのがばかばかしくなるような。狂乱の、という言葉を使う者も居た。足元が崩れているのに、気づかず踏みだして、手ではばたいてみたらなぜか墜ちずに飛べました、という類の──ありえないことを可能にする。そんな陽気。<br />
　彼ならばなんとかしてくれる。運悪く己の命ひとつ落としたとしても、その死は意味を持ち、未来へと続く礎となる。不敗の強将、不死身の戦神、──それは、もはやひとつの信仰だった。彼ら皆の願望が縒り集まって生み出した、伝説であったのだ。</p>]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>第２話 「卒業」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://reiju.zarasu.com/great5/02.html" />
    <id>tag:reiju.zarasu.com,2008://3.842</id>

    <published>2007-05-07T06:26:36Z</published>
    <updated>2008-01-23T17:44:13Z</updated>

    <summary>濡れたような光沢に磨きあげられた紋章が、六角の大講堂を静かに見下ろす。
貴石の丸天井を透かしてさしこむやわらかな陽射しは、壁の白を浮きたたせ、学舎の清らかさをいっそう強く印象づけている。
アフネリア軍学校、帝国暦２９６年の卒業式は、例年にたがわず、多数の列席者を迎えて盛大に執り行われていた。</summary>
    <author>
        <name>玉英</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://reiju.zarasu.com/">
        <![CDATA[<p>「卒業生首席、ガル＝イリル」<br />
「はいっ」<br />
　やや緊張のおももちで立ち上がった少年こそ、次期天務卿、ガル＝イリル。<br />
　引き締まった細身の身体つき、黄金色に輝く長い髪、髪とおなじ金色の瞳。きまじめなふうの、いかにも言霊人らしい美少年で、ゆくゆくこの国を支配する者としての風格は充分だ。<br />
　右手を前に突き出し、ついで肘を折って胸の前へ。軍式の基本の敬礼。<br />
「……」</p>

<p><br />
<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img02_1.jpg" width="300" height="225" alt="第２話挿絵" style="border:0px;" /></div></p>

<p>　事前に充分に予行演習がなされていたとはいえ、動きが固くなるのは否めない。軍学校卒業生四十名余、彼らすべての資質を、貴賓席の七家議にはガルの動きひとつで示すことになるのだ。<br />
「ガル」<br />
　隣席の、紺色の髪の少年が、他に聞こえぬようそっと声をかけた。<br />
　むろん彼も、見えない柱に背をはりつけるようにして、まっすぐ正面を向いて座ったままだ。<br />
「堂々としてろ。君なら、大丈夫だ」<br />
　うん、と、喉だけでかすかに頷いて、ガルは前へと足を踏み出す。直角に方向を変え、一礼して、壇へのぼるための階段へ。焦らず、遅れず、歩数を間違えないよう、慎重に──<br />
「彼が、『あの』、天務の息子ね」<br />
　彼を見つめる貴賓席の中に、冷たい瞳が一対、あった。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img02_2.jpg" width="420" height="315" alt="第２話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p><br />
　七家議とは帝国における統治の最高機関である。尊い七家でもつ会議のこと、転じてその七つの家のことをもさす。その会議に出席できる各家の当主のことを議事という。または、議事ひとりひとりをさして七家議と言うことも多い。ガルの父親、天務卿も七家議のひとりである。<br />
　臨席の七家議は３名。軍の統帥たる炎務卿、法の番人である治務卿、それに今は邦王補佐である封務卿。さらに右に空席がひとつ。棘のある声を洩らしたのは、封務卿である。<br />
「『あんなこと』があったのに、立派にお育ちになって……なかなか凛々しいじゃない」<br />
「……む」<br />
　炎務卿は不快そうに眉をしかめる。封務卿の独白は、左右にしか聞こえていない。<br />
（それに……）<br />
　じろりと睨む炎務卿にかまわず、封務卿は瞳を別のほうへ、滑らせた。<br />
　先ほどガルに声をかけた少年を凝視する。<br />
　厳粛な式の中で声を発したおこないを憤った──というわけでは、無い。<br />
　言霊人にしてはずいぶん背が高く、がっしりした体格、濃い色の肌、紺色の髪をもつ──<br />
（あれが、裏切り者、カナの息子）<br />
　封務卿は、美しく染めた唇をつりあげて笑った。<br />
　覚えたくもないが覚えている。名前はブロスと言う。彼も今年、卒業して軍に入る。<br />
　彼女にとって、それは何よりも忌まわしい現実だった。<br />
　席の位置からして、次席。<br />
　いや。首席がガルなのは、家格の配慮も入っているかもしれない。実際の成績はブロスのほうが優秀である可能性も、考えられる。<br />
（忙しくなるわね……）<br />
　……不愉快なものからは目をそらし、壇上に至ったガルへと、視線を戻す。</p>

<p>　ガルは仁務卿と正対していた。<br />
「これより卒業章を授与する」<br />
　七家議のひとり、仁務卿は軍学校の校長だ。きわめて事務的に口上を述べると、ガルに徽章の入った箱を差し出す。ガルは箱をおしいただき、卒業生はいっせいに立ち上がって敬礼した。<br />
「でも」<br />
　と、封務卿は先ほどの独白の続きをはじめる。<br />
「天務卿には幸運だったかもしれないわね。『あの事件』のおかげで、法案も可決。寐床（ペーレ）の数も無事、確保できたんですもの。ねぇ」<br />
「……いい加減にしないか！」<br />
　冷静な統帥と名高い筈の炎務卿が、激発して腰を浮かせたので、ガルは驚いて思わず貴賓席に目をやった。それまで黙っていた治務卿が、苦々しげに声をあげる。<br />
「壇上ですぞ。七家議ともあろう方々が、みっともない」<br />
　炎務卿の激発には理由があった。<br />
　ガルの父親、天務卿のことだ。平時ならば、軍学校の卒業式には邦王以外のすべての七家議が列席する。だが今は戦況が許さなかった。一人息子の卒業の時だというのに、帰還を命じることができなかった。それで、苛立っている。<br />
　封務卿もむろんそのことはよく知っている。知っているから、わざわざ逆撫でするような真似をしたのだ。<br />
「うむぅ」<br />
　押し殺すように唸って、炎務卿は腰をおろした。封務卿はニヤリと、笑う。</p>

<p>　ガルは貴賓席のひとびとの会話は、知らない。<br />
　ただ、父親が居ないことは、気に掛かった。<br />
　貴賓席に、椅子だけは４人分用意されている。その４つ目の、空席。<br />
「父上……」<br />
　だが、しかたのないことだ。<br />
　気を取り直して──<br />
　壇をおり、席に向かうときには、役目を終えた喜びが、心を満たしていた。<br />
　最後の敬礼を忘れずに……すわって。<br />
　隣の親友と視線を交わす。<br />
　ブロスは、笑って頷いてくれた。</p>

<p>　帝国暦２９６年。<br />
　ガル＝イリル、アフネリア軍学校を卒業。<br />
　彼に待ち受ける数奇な運命を、この時はまだ、誰一人として知る由もない。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img02_0.jpg" width="420" height="315" alt="第２話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p><br />
　まつりのあと……と、いうべきか。<br />
　教室は浮ついた虚無感に満たされていた。<br />
　ここでやるべきことはもう、なにもない。手持ち無沙汰だから、片端から端末を初期化して回る。<br />
　他の生徒たちは、親族と語らったり、友人と別れを惜しんでいる。だがガルに話しかける者は、ない。<br />
　軍学校に入るには資格が要る。家格と、力を試されて入学している。それでも、ガルの毛並みのよさは他をよせつけないものだ。当人に隔意がなくとも、皆、避ける。<br />
　また、黙って頭だけ下げて、行ってしまう。<br />
「あ……」<br />
　最後だけでもと、声を掛けようと思ったけれど、適当な言葉がみつからない。<br />
　ガルはうつむき、次の端末へと、目を向けた。</p>

<p>　そのとき、廊下を走る足音が聞こえた。<br />
　他の誰より切れのよい足取り、この走り方は……ブロスだ。<br />
　ガルは立ち上がる。<br />
　扉をいきおいよく開いて駆け込んだのは、やはり。<br />
　ブロスは軍章を投げ上げた。手の甲に押さえ込んで、ガルに差し出す。<br />
「んー……表」<br />
　ガルが言うと、ブロスはばっと掌をあげる。<br />
「残念。裏だな」<br />
　にやりと笑ってから、その軍章の本来あるべき場所、己の左胸へとつけ戻す。<br />
「俺の１３６勝、３０敗だ」<br />
「ええっ？３１敗のはずだが？」<br />
　ガルが芝居がかった調子で抗議すると、ブロスは大声をあげて笑い出した。<br />
　ガルも、笑う。<br />
　これが、ふたりだけの、いつもの儀式だった。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img02_3.jpg" width="420" height="315" alt="第２話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p>「そうか、出撃先が」<br />
　決まったのか、と、ガルは感慨深げにつぶやいた。<br />
　ふたりはフルコールの塔に来ていた。邦都スイモミスクの中でも高台に位置する軍学校、その端にあるひときわ高い塔だ。アフヌマ湖中に没する夕陽はアフネリア名勝三〇選に数えられるほどで、何度見ても、飽きることがなかった。何より、好んでここに来る者は、彼ら以外には居ない。<br />
「都護の補佐だ。明日、発つ」<br />
　と、ブロスは夕陽を見つめたまま、言った。<br />
「明日。ずいぶん、急だな……どこだ？」<br />
「マクエークだ」<br />
　マクエーク、とガルは反芻する。最近聞いたような地名だ……と、記憶をたどる。<br />
　すぐに思い出した。他でもない、ガルの父、天務卿が今赴任している圏ではないか。<br />
「戦況、悪いのか」<br />
　さあな、と呟いたブロスは視線を落とした。<br />
　ここからはスイモミスクの市街が一望できる。店も通りも広場も活気があって、とても戦争をしているとは思えなかった。<br />
　ブロスは顔をあげた。<br />
「君の方はどうなんだ、ガル。スイモミスクから離れないのか？」<br />
「分からない」<br />
　即答に、ブロスは驚いた。<br />
「分からない？　まだ決まってないっていうのか？」<br />
　ガルはうつむく。<br />
「そうか……」<br />
　ふたりは沈黙した。<br />
　次席のブロスに都護の補佐という大任が与えられているのだから、首席たるガルに何も沙汰がないはずがない。<br />
　だがガル自身と、ブロスには思い当たるところがあった。<br />
　ガルには、軍学校に入る以前の、幼い頃の記憶がないのだ。<br />
　悲しい事件があって、ガルは、ひとたび心を閉ざした。どんな事件であったのかは、周囲のひとびとは誰も教えてくれない。すべてを忘れることによってのみ、ガルはふたたび、人らしく振る舞えるようになったのだと、あとから聞かされた。<br />
　すべてを思い出し、乗り越えるまでは、軍政に携わることはできない。<br />
　──と、炎務卿あたりが判断したとしても、おかしくはない。<br />
　これからどうなるんだろう、と、ガルが呟いたとき、</p>

<p>　ピンポーン</p>

<p>　呼び出し音が鳴り響いた。構内中に聞こえる音だ。<br />
　ついで、女性の声によるアナウンス。<br />
「指令番号三一一。ガル＝イリル様に呼び出し。可及的すみやかに、校長室に向かってください。指令番号は、三一一です」<br />
「杞憂だったみたいだな」<br />
　ブロスは笑った。<br />
「あたりまえだな。あの炎務卿が、お前を放っとくはずがない」<br />
「……そうかもな」<br />
　ガルも、ようやく笑った。<br />
「この空も、今日で見納めか……」<br />
「大袈裟な物言いだな。永劫の別れじゃないんだ」<br />
　ブロスはまっすぐに背筋をのばし、軍式の敬礼をする。<br />
「ガル。健闘を、祈る」<br />
「ありがとう」<br />
　ガルも、敬礼を返す。<br />
「武運を、祈る」<br />
　そして、べつべつの道へ向かい──２人は、歩き出した。</p>

<p><br />
「遅い！」<br />
　入ったとたん、いきなり、怒声を浴びせかけられた。</p>

<p>　部屋の主は、さきほどガルに卒業章を渡した仁務卿、その人だ。気が短くてすぐ怒鳴りつけるので、生徒からはあまねく嫌われている。ガルは数少ない例外だったのだが、さすがに気分を害した。<br />
　抗弁しようとして、もう一人先客が居るのに気づく。赤き美髯もつ偉大なるアフネリア統帥、炎務卿だ。<br />
　炎務卿はあきらかに苦笑の表情をしていた。<br />
「彼は先刻、我が部下になったと思ったんだがね。もう貴卿の生徒ではない、仁務卿」<br />
「指令発から四半刻もかかっている。これが首席か。我らの未来をこれに託すかと思うと、嘆かわしい」<br />
「構内は広い。たとえばあの塔などに居れば、いくら急いでもこれくらいはかかろうて」<br />
　一部始終見られていたのか、とガルは瞠目したが、何のことはない。ガルは知らぬ事だが、軍学校時代の同窓である炎務卿と仁務卿のふたりも、当時はよくフルコールの塔を活用していたのだった。しぶしぶ黙り込む仁務卿を横目に、炎務卿はガルに手を差し出す。<br />
「まあ、座りたまえ、ガル君」<br />
「恐縮です」<br />
　ガルは一礼し、示されるまま榻に腰掛けた。<br />
「君は、いずれは我ら七家議の一角を担う。父君がご健在の間は、継承はないが、その徽章を得た以上、」と式で渡された卒業章を指す。卒業章はそのまま階級章となる。「議事と認定されたも同じことだ」<br />
「ありがとうございます」<br />
「有難がることでは、ないな」炎務卿は微妙に首をかたむけた。「その自覚を持て──と言っているのだよ。何事をなすにも、ついてまわる。それが我らの宿命だ」<br />
「はい」<br />
　ガルは大きく頷いた。炎務卿も、そして仁務卿も、ガルと同じこの軍学校を出て、軍から七家議へと上った、いわば直系の先輩にあたる。あらゆる試練を超えてその地位にある先輩からの訓辞は、心強かった。<br />
「さて君への辞令だが──」<br />
　と言った炎務卿の表情が、にわかに曇る。<br />
「とりあえず、見ておきたまえ」</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img02_4.jpg" width="420" height="315" alt="第２話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p>　炎務卿の視線を受けた仁務卿が手を振った。照明が消え、机の上に嵌め込まれた湖石のモニタがアフヌマ島の形の光を映し出した。<br />
「わかるかね、ガル君」<br />
　言われて、まじまじとのぞき込む。</p>

<div class="g5ill"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img02_5.jpg" width="300" height="225" alt="第２話挿絵" style="border:0px;" /></div>

<p>　地図だ、とはすぐ分かったが、明滅するとりどりの光の意味が分からない。<br />
　言霊人の帝国の街を圏、蛮族の街は邑という。圏と邑とで分けたら、こんな配置にはならないはずだ。<br />
「分からぬなら、言おう」<br />
　炎務卿の眉がいっそう曇った。<br />
「これは現在の戦況を示したものだ。青はいまのところ安全な圏……黄色は交戦中。赤は既に蛮族の手に落ちた」<br />
「ええっ……！？」<br />
　ガルは息をのんだ。<br />
　ではこれは何だ。<br />
　首席であるガルは、地図を読む能力も学年で一番だった。<br />
　ひとめで分かった。絶望的だ。<br />
　語が継げないガルを見やって、炎務卿はため息を吐き出した。<br />
「お父上が来られなかった訳も、わかってもらえたかね？　これが、我々の帝国の、現状なのだ」<br />
　かろうじて頷いてみせて、ガルは、目を地図上に泳がせる。<br />
　親友が、明日行くと言っていた……<br />
　マクエークの色は……<br />
　黄色。<br />
　まさに今、侵攻を受けている……？<br />
「ブロス……！」<br />
　ガルは身体を乗り出して、かすれた声で喘いだ。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>第１話 「竜の戦士」</title>
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    <id>tag:reiju.zarasu.com,2008://3.841</id>

    <published>2007-04-30T06:14:01Z</published>
    <updated>2008-01-23T17:43:20Z</updated>

    <summary>　戦場に竜が踊る。
　駆け抜けるのは純白の閃きで、降り注ぐのは紅の雨。
　ひとひらごとに舞い落ちる死が、彼の背に道を敷きつめる。
　天上天下、貴きを知らず卑しきを見ず、只一剣の重みもて人を測る。
　不敗の強将、不死身の戦神、──彼を人は、畏敬を込めて、竜の戦士、と呼ぶ。</summary>
    <author>
        <name>玉英</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://reiju.zarasu.com/">
        <![CDATA[<p>　しゃり、と響いたのは期待より幾分硬い音だった。<br />
　ち、とかるく舌打ちして放り投げる、その青い梨の実は、きれいな放物線を描いて、歩み寄る男の面の真ん真ん中を打つ。<br />
「あ」<br />
　と声はあげたものの、悪びれる様子も、謝罪のひとことすらない。<br />
　被害者の男はあきれかえった。<br />
「あなたのことを、都奴どもがなんと呼んでいるか、ご存じか」<br />
「知らん。何だ」</p>

<div class="g5ill"><a href="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img01b.jpg"><img src="http://www.zarasu.com/f/tfsafe.cgi/img/reiju/5/img01.jpg" width="420" height="334" alt="第１話挿絵" style="border:0px;" /></a></div>

<p>「竜の戦士、ですよ」男はさも不愉快そうに眉をひそめて言った。「つまり、われら黒竜の民を統べるべきは、あなたであると」<br />
「ますます、知らん」<br />
　不快そうな顔をしたのは、こちらはさきほどの梨の酸い汁のせいだ。<br />
　梨をぶつけられた男──サド・ムラガは、旅装を解かぬままの態で、跪く。竜の戦士はからからと笑った。<br />
「とうとうお前まで、それか。気持ち悪いな」<br />
「あんたの快不快は関係ない。おれは、つぶさに聞いた──」<br />
　ムラガは声を張り上げた。</p>

<p><br />
　そもそもの発端は、数百年前、神々が言霊人の帝国へと世界を譲ったことであると、伝説は曰う。説がどこまで真実を伝えているかは検証の余地があるにしても、今、神人たちが帝国の支配下にあるのは確かだ。<br />
　支配、といってもごく緩やかな支配だった。他地との交易と移動が制限され、勝手な貨幣の発行ができぬくらい。多少の不便はあっても、それだけだったから、あえて帝国を打ち倒そうという者はいなかった。<br />
　神人たちの身体そのものに危害をなすことは、ほとんどなかったからだ──これまでは。</p>

<p>　関係が崩れたのは、ほんの数十年まえのこと。<br />
　バルス戦役、と史書には書かれる。<br />
　言霊人（イシス）と神人（ホルス）とが入り交じり、穏やかに暮らしていた圏、バルス。圏とは帝国の城塞都市のことだ。繊細にして壮麗な牆壁で知られる芸術の街だった。功務の一族の居地であり、当時の功務卿はとくに芸を好み、美を生み出す者であれば種族を問わず重用した。<br />
　しかし七家議は功務卿のおこないを帝国に仇なすとして弾劾。時の統帥、封務卿イェリル＝エクスタ率いる軍により、市街は完膚無きまでに破壊され、住民は言霊人と神人とを問わず、鏖殺にされた。<br />
　以来、帝国は神人を家畜でもひねるように殺すようになった。<br />
　バルスの例のような大規模な虐殺が、頻繁にあるわけではない。しかし、神人の邑で問題が起きたり、要求を発したりすると、ただちに邑ごと焼かれる、といった事例がたびたびおこるようになった。その頻度は、年を追うごとに、上がっている。</p>

<p><br />
「ん？お前が行ってたのは、ナーウルだったか？」<br />
　竜の戦士は無精ヒゲだらけの顎をぞろりと撫ぜた。<br />
　ナーウルはアフヌマ湖に面する、美しい港町だ。いまのナーラダの邑でもっとも人口が多いので都とも呼ばれるが、他の邑への影響力があるわけではない。<br />
　むしろさらに人方（人の方位：北東）に位置するターヌの方が、邑どうしを繋げるべく蠢動していた。ターヌには「竜老会」がある。長老の寄り合いだが、一族全体の指針、とくに子弟の教育に関して通達を出すことができる。言霊人の居地からも遠く、近隣に門もない。ゆえに帝国軍の攻撃を受けにくく、独立運動の事実上の拠点となっている。<br />
　ムラガは、ターヌへ物資の調達を要請しに行くと言って出たはずだった。<br />
「寄ったのですよ。ちょうど、ロホウの難民が居た」<br />
「ロホウか……」<br />
　ナーウルの五粁（キロ）ほど先の邑だ。竜の戦士とは別の隊が、拠点にしていた。<br />
「壊滅したとは、聞いた」<br />
「無茶苦茶ですよ。夜、空が明るく光ったと思ったら、次の瞬間にはもう、家は跡形もなかったと。それが何十度と続いて、逃げ出せたのはほんの数人だったそうで」<br />
「何十度と──か。そりゃ、兵器にしろ、術にしろ、通常のやつだな」<br />
　竜の戦士は嘆息した。<br />
「サンジャめ、死ぬときには敵弾を道連れにしろと、あれほど言ったのに！」<br />
「そんなことが出来るのは、われわれ──いや、あなただけでしょうが」<br />
　ムラガは容を正す。<br />
「残兵も一人だけ居ました。接触したが、彼らも『水晶剣』から情報を得ていた。同じ情報だった筈だ。我々は、ホウサイとヤートゥを救うことができた。彼らには、できなかった」<br />
「奴らが無能か、俺の運がたまたま良かっただけだ。次の保証は、できん」<br />
「民はそうは見ませんよ。すくなくとも、ナーウルでは」<br />
　竜の戦士はくの字に眉をあげて渋面をつくった。<br />
「ますます、想像したくないな……いったい、どう騙られてるやら」<br />
「だから『竜の戦士』だと申し上げているじゃありませんか」<br />
　ムラガは繰り返す。<br />
「皆の希望の光、一族の英雄様ですよ。そろそろ観念したらどうです」<br />
　竜の戦士は、また──手を伸ばして、梨をもいだ。<br />
「おかしなことを言うやつだな。お前は竜老の飼い犬だろう。俺を監視するのにここに居るのだとばかり思っていたが」<br />
「あのありさまを見りゃ、だれだって皆とおなじ心情になります」<br />
　ムラガは言葉をあらため……口についた汁をぬぐうのを目に入れて、げんなりと首を垂れた。<br />
「なあ、『竜の戦士』さんよお」絞り出した声は苦渋に満ちていた。「おれは、いちおうあんたを尊敬してるんだがね。これでは……悪党どころか、悪ガキの所行だ！」<br />
「なんだ、お前は俺に謝って欲しいのか？」<br />
　対し、竜の戦士は涼しい顔だ。「何の言葉をのぼらせたところで、落ちた梨が成るわけでもあるまいに」<br />
「落ちたんじゃない、あんたが盗んだんだろうが！」<br />
　声を荒げてから、ムラガはその無為を悟って首を横に振った。<br />
「言いたいのはひとつだ。自覚を持ってください」<br />
「やなこった」<br />
　梨を一口囓る。こんどは甘かったらしく、眉をすこし開いて、ムラガを見上げる。<br />
「人間、エラくなったとたん目線が変わる。目線が変われば、もはや同じ判断はできん。俺の断がすべて正しいとは思わんが、よけいなものをくっつけてみろ。別モンになるぞ。別モンの俺に何の価値があるんだ？」<br />
　もっともらしいことを言っても。<br />
　しゃり、と響くのは瑞々しい音。<br />
　ロホウの難民の訴えが、重なって耳に残る。<br />
　救ってください、我々ナーラダの民を。あの方しか、もはや居ない。<br />
「……が、けちな梨泥棒とは……なげかわしい」<br />
　ぜったいに、彼らには見せられない。<br />
　ムラガはがっくりと、瞳を落とした。</p>

<p><br />
「どうやら、マクエークだな」<br />
　竜の戦士は地図を睨んだ。<br />
「『水晶剣』の情報は残念ながら、今回も正しかった。ホウサイ、ヤートゥの二邑は、しばらくあてにはできんだろう。すると」<br />
　ホウサイ、ヤートゥを結ぶ道の中央、そこが今彼らの居る小さな邑だ。ここには竜の戦士はじめ二十名ほど、他の者たちは森中の廃村などに別れて潜伏しているが、<br />
「とても食えない」<br />
「その為にあんたが出たんだろう？」<br />
　若い戦士に言われ、ムラガは頷いた。<br />
「竜老は要請に応じ、伝令を出してはくれたが、おれたちを養える余裕は、こちらにはないそうだ。一日二日なら、」とムラガはホウサイより風方（風の方位：南）へ指３本ほどにある邑を指す。「ここにもあるそうだが、それ以上となると──」<br />
　指をさらに風方へ──帝国の圏、マクエークの向こう側だ。<br />
「要するに、堕とせってことだな」竜の戦士は、腕を組んで唇をゆがめた。「竜老どもめ、己が何を言っているか、分かってるんだろうなぁ？」<br />
「圏ひとつ──という理解かと」<br />
　ムラガも渋面をつくった。「おそらく、圏ならどこも同じだと思っていますよ」<br />
「馬鹿な。我ら神人の邑だって、ナーウルとここほど差異はあるというに」<br />
「そこを説得するのが、ムラガさんの役目でしょ」<br />
　他の戦士に言われて、ムラガは首を横に振った。<br />
「軍略のことも、帝国のことも、何一つ理解できない。ありゃ、すでに狂信の域だ。子供らに我らの正義とやらを喧伝するあまり、自身の脳みそまで逝っている。……とはいえ、糧食が無いのは事実。ここを放棄して水方（水の方角：北）へ寄るか、マクエークを堕とすか、二択になろうかと」<br />
「マクエークだ」竜の戦士は、きっぱりと言った。「撤退は、ありえん。ロホウの件で分かったろう。もはや猶予は、ない」<br />
「正気ですか？」ムラガは目を見開いた。「おれは反対しますよ。むしろ水方へ上って、ターヌ竜老を討つほうがよほど建設的だ」<br />
「ではお前はもう一度ターヌへ行け。水方から物資を調達する手配をしろ」<br />
「無茶だ」ムラガは声を張った。「あんたのいう敵弾２発を、同時に斃そうというのか」<br />
「いずれは倒さねばならん敵だ」竜の戦士は妙に静かに言った。「今倒せぬなら、１年後でも倒せんだろう。その間に幾万の民が殺される」<br />
「だからといって……！」<br />
　言いかけ、ムラガは首を横に振った。<br />
「わかりましたよ。ただし、５日待って下さい。その前におれが糧を持ち帰ったら、マクエーク攻めは中止。よろしいか」<br />
　竜の戦士はうなずいた。</p>

<p><br />
　とぼしい糧を割いて飯をつくる。炊ぐ煙が薄く森を貫く……帝国軍がこれを見つけて攻めてきたらことなのだが、どういうわけか、一度派手に動くと翌日は動かないのが、常だった。動かないのではなく、動けないのだろう。<br />
　他にも不可解なことがある。帝国軍は、神人の輜重車を襲うことがないのだ。正々堂々正面からしか戦わないポリシー……と考えるのは神人の思考だ。夜襲、奇襲の類はあるのだから、そもそも人はモノを食わなければ生きていけない、ということを知らないのかもしれない。<br />
　言霊人と神人とは違う生き物なのだ。外見が似ているからといって、騙されてはいけない。そう竜の戦士に教えたのは、『水晶剣』と呼ばれる諜者だった。まだ小娘だというが、帝国の事情や動向については神人の誰よりも詳しい。帝国の軛から逃れたいと願う言霊人を手引きするのが、彼女の生業らしかった。</p>

<p>「あのぉ……？」<br />
　困惑したような声に振り返って、竜の戦士は渋い顔をした。<br />
　戦士に連れられ、見上げてきているのは平服の少年。見ない顔だ。この家の者だろうか。梨の件か？<br />
「あぁ？なんだ」<br />
　粗野そのもののぞんざいな返事、高みから投げおろされた不機嫌な瞳に、少年は怯んだ様子で一歩、退いた。が、掌をぎゅっと握りこんで、押し返すようにまた、見上げてくる。まっすぐな目だ。<br />
「ぼく……戦います！」<br />
「は？」<br />
　竜の戦士は眉をひそめた。<br />
　……そういう手合いか。最年少記録を更新したな。<br />
「坊、おうちは何処だ」<br />
「出身ですか？ターヌです」<br />
　……ムラガですら往復５日のところ、少年で、歩きとなるとどれほどだろう。<br />
　厄介な、とわざわざ聞こえるように舌打ちしたが、少年には通じなかったようだった。<br />
「何でもします……ぼく、どれくらいお役に立てるかわからないですけど、でも……っ、がんばりますっ！」<br />
「……１つ、質問するが、いいか」<br />
「はいっ」<br />
　元気だけはいい空返事。<br />
「命の価値は？」<br />
「え？」<br />
　少年は目をぱちくりさせた。<br />
「お前の命の価値だ。どれくらいある」<br />
「え、ええっと……」<br />
「分からんのか。じゃ、要らんな」<br />
　竜の戦士は虫でも追い払うように手を振った。少年は慌てた。<br />
「ええと……半人前……でしょうか……」<br />
「俺の見たところ、まあ、数百分の一だな」<br />
「す……」<br />
　少年は絶句した。<br />
「塵芥も同じだ。吹けば飛ぶ」<br />
　ふっと、口をすぼめて息を吹きかけてみせる。少年はあとじさった。竜の戦士はめいっぱい唇をゆがめて悪い笑顔をつくる。<br />
「ほらみろ」<br />
「り、理由をっ……！」<br />
　少年は踏みとどまって、叫んだ。<br />
「理由を聞かせてくださいっ！　ぼく、やる気はあります！　なのにどうして、数百分の一って、どうして……！」<br />
「今ここでは何も寄越さぬと、自分で言ったじゃねぇか。それで自尊心だけは人一倍か。余計要らねぇな。とっとと帰れ」<br />
　これ見よがしに酒瓶をつかみ、ぐぐっと飲み干す。酔眼を剥いてみせると、少年はしおしおと、木立の蔭にかくれてしまった。</p>

<p>「珍しいですな」<br />
　ムラガはにやにやと笑う。<br />
「俺がいたいけな子供にあたったと、そう見えたか？」<br />
　竜の戦士は憮然とする。「あたりまえだろう。我ら戦士は命を擲ちに行くんだ」<br />
「そうでは無く」ムラガは首をめぐらせた。悄然と立ちすくむ少年は、瞳を空に向けてこらえるような唇をしている。<br />
「おれに、家まで丁重に送り届けろ、と。珍しい」<br />
　ムラガはひどく薄い笑みをふくんだ。<br />
「数百分の一の塵芥の命のために、おのが命を捨てるごときの輩は、すでにこの世に亡いでしょう。残った者どもは、あなたが見捨てろと言えば、躊躇無く彼を見捨てる。なのに、何故庇うか、と」<br />
「らしくない、か？」<br />
　竜の戦士はあごをさすった。<br />
「……だよなぁ、俺もそう思うしなぁ」<br />
　いつになく決まり悪そうに……吐き出した言葉は。<br />
「ガキが、たぶんあれぐらいだからかなぁ」<br />
　寸分をおいてその語の意味を理解し、ムラガは目を剥いた。睨むように見上げると、竜の戦士は、慌てて頭上に雲を探す。<br />
「いや。一度も、会ったことはないが。……どうやら」<br />
　いるのか。妻子が、これに！　物好きな女もいたものだ、とムラガは呆れた思いで息をつく。<br />
「軒下に住まわったおぼえもないんだが、故郷にな。生まれたと、一度だけ書簡をよこして、それきりだ」<br />
　竜の戦士が口を噤んだので、ムラガもそれ以上追及することはなかった。</p>

<p><br />
　翌朝、ムラガは少年を連れて水方（北）へ、竜の戦士とそのほか手勢は風方（南）へと、進む道を違えた。<br />
　去り際、竜の戦士のようすは普段と変わらなく見えた。ただ、剣を佩く帯布の色が眩しく見えたので問うと、古くなって切れたので換えたと言う。抜ける蒼天のもと、屈託なく別れたのだが、それが、ムラガが竜の戦士の姿を見た最後となった。</p>]]>
        
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